20180605

髪の長いおっさんが、その髪を振り乱して『いぃですかぁ〜? 人という字はぁ、人と人がぁ支え合ってできてるんです』って言う学校ドラマがあったそうですやん?

 

そんで、それ聞いたガキが『どう考えたって一方がもう一方を支えてるじゃん! 支え合ってねえじゃん!』って訳知り顔で言うらしいですやん?

 

けど、最近ぼくは、ぼくはね? あくまでもぼくはですけど、それでええのではと思います。

 

一方はしっかりするもその丈は短い。もう一方は志高くもフラフラしてる。短い方が支える。長い方が穿つ。そういう風に人間はできてるのだろうと時々思うのです。

 

ぼくは人という字の成り立ちはよく知らないのですけど、人という字と格闘するときを考えるとなかなかの強敵であると思い知らされます。

 

なんといっても重心がどっしりとしていて攻めにくい。格闘技において重心を下げることは鉄則です。それを末広がりの足が支える。ヴァンダレイ・シウバもファイティングポーズは足先を互いにズラしたガニ股です。しっかりとしてるのですね。そして片足の方にわずかに重心をずらす。これで単純な仁王立ちよりしっかりと地面に腰を下ろすことができるのと同時に、次の一歩への体制を整えているのです。

 

そこにすらっとした一直線の上半身。しかも曲線が美しく、しなやかです。あそこから放たれる鞭打のような一撃の威力が想像されます。ひと目でわかる、その実力。さらに一画目のうったてが猛々しさも訴えてくる。ただ軽いだけの鞭ではない、重々しさも兼ね備えた打撃の矛なのですね。

 

攻めにくいのです。それを支えるのはやはり重心としての短い線、そしてその支えのもと砲台のような打撃を放つ長い線。最高の組み合わせです。

 

人間もそうなのです。一見地味で、けど確と地面に根をはり、突っ張り棒として相手を支える人。そして、フラフラしてるけど支えを得ればその矛が貫けないものなど何もないような人。どちらかだけではダメなのです、どちらかだけでは。人はそういうものだと思う。

 

もう何が言いたいのか分かりますね。あのロン毛の先生がなぜ髪を振り乱しているのか。

 

あれはボクシングのスウェーバックの練習をしているのです。人間、常に臨戦態勢でいられるよう日々のうちからイメージを持っていることが重要なのです。人とは戦うことと見つけたり。立て、立つんだ、ジョー