20180622

「写真は思い出の栞ですね」

 

という言葉をたしか『よつばと』で風香ちゃんがドヤ顔で言っていた気がする。

 

そこに竹一がいれば「ワザ、ワザ」と話しかけられること必至の狙いすぎた発言ではあるが、確かにふと携帯の画像フォルダを眺めてみると、ああこんなことあったなあと懐かしく思う。

 

そうだった、こんな時あったな。これはあそこで撮った風景だ。誰々がまだいた頃だった。この写真はあいつが撮ったんだ。そのあと、そうだ、あの店でさあ……。

 

という風に色んな思い出が写真を見ると思い出されるものだ。

 

 

しかしその一方で、全く読んでいない本に挟まれた栞はそこに何かしらの意味を探ってしまう。

 

それは栞というよりは、古本屋でふと手に取った本に引かれたアンダーラインやドッグイヤーのようなものかもしれない。なんで前の持ち主はここに注目したのだろう。それが僕の心の琴線にはあまり響かない文であればなおさらである。

 

 

いつのことだったか。僕がまだ二十歳になりたてかそれくらいの頃だったと思う。購入した古本に挟まれていたのは、栞ではなく、それこそ写真そのものであった。

 

どういった写真だったか、細部まで覚えているわけではない。男性が2人写っていた。一人は構図右下の方にいて、髪は少し長めの茶髪を整髪剤で整えていた。服は少し濁った緑色で、写っているのは上半身だけだった。もう一人は逆に下半身しか見えない。正直、顔も分からないからかもしれないがこの男性の方はほとんど何も記憶がない。薄い色のパンツを履いていたことは覚えているのだが。

 

背景から見るに室内であろうということは分かる。床が映っていた。角度的に撮影者は上から撮っている。2階から1階へレンズを向けているような構図だ。なにか青く細長い絨毯が、バージンロードのように引かれていたことを覚えている。

 

僕が少し不思議に思ったのは、撮影者は何を思ってこの写真を撮ったのだろうかということだった。2人の男性を撮ったものではないと思った。なぜなら、その両名ともその構図の中央には位置していなかったからだ。そして男性のどちらもカメラの方を向いていない。右下の男性は自身の左側を視線で追っていたし、左上の男性は後姿の下半身しか映っていない。床材や絨毯から体育館のようなところを思い浮かべたが、スポーツをするような服装ではない。二人の服装がカジュアルなことから何かしらの式場や催し会場でもなさそうだ。

 

僕が一番首をかしげたのは、この写真には全く主役がいないことなのだ。

 

自分の写真を見てみても、その写真には何かしらの主役が存在する。たいていは友達や家族などの人物。人物が映っていないこともあるが、その時はたいてい夕暮れなどの風景全体が主役になっている。

 

けど、その写真には主役がいない。わざわざカメラを取り出して、シャッターを押し、あまつさえそれを現像する必要のあるようなものはなにも写っていないのだ。

 

僕はその写真を結局どうしたのか覚えていない。不思議な写真だなあとおもって、その辺に置いていたはずだ。けれど、そのまま引っ越し作業をしているうちにどこかに行ってしまった。多分、知らず知らずのうちに捨ててしまったのだと思う。

 

いま、思い直しても不思議なのだ。あれは一体、どんな本に挟まれた栞だったのだろう。そしてそこにその栞を挟んだのは一体なんでだったのだろう。