20180703

大空のもと、肉を焼きたい。

 

子供の頃はアウトドア的なものは基本的に全部苦手で、バーベキューだとかキャンプだとか、そんなものは全くしたくなかった。

 

友達と遊ぶ時もずっとゲームしてたいし、漫画読んでいたい。できるだけ室内で遊びたい。グラウンドに行って野球をしたくない。道路でドッジボールやりたくない。

 

しかし、今は全く違ってめちゃくちゃ外で遊びたい。めちゃくちゃ野球したいし、フットサルやりたい。友達と一緒にアスレチック行きたいし、そのあとバーベキューで肉焼きたい。

 

もっと子どもの頃にこうやって外に出て遊んでいれば…と思わないわけでもないが、あの頃外に出て遊んでいた友達は外に出て遊ぼうと言うと、二言めには『ダルい』とのことで、あの頃のツケがお互いに来てるのかもしれない。

 

子どもの頃の感性は大人になると変わっていくものなのかもしれない。昔嫌いだった牡蠣が今はめちゃくちゃ好きなように。

 

じゃあ、もしかしたら今は苦手な細かい手先仕事も好きになることがあるのだろうか。

 

可能性はある。

 

ただ、そう信じるためには今の自分がまだ子どもであると定義するという両面性を持ち合わせているのだが。

20180702

イカを切り分けた時のあの先端の最初のひとくち。

 

あそこだけ食べたい。

 

ソフトクリームの先っぽのところ。

 

あそこだけなめたい。

 

ビールも最初のひとくちが1番美味しい。

 

最初のひとくち。なんて魔性に満ちた魅力を持っているのだろう。

 

最初のひとくちだけ集めて、永遠に最初のひとくちを味わいたい。

 

僕がお金持ちなら最初のひとくちだけしか食べたくない。

 

けど、そう思った瞬間気づいてしまった。

 

なんでペットボトルの飲み物は入れ物いっぱいまで入っていないのか。

 

あれはすでに誰かが最初のひとくちを飲んでしまっているからなのだと。

 

ドーナツの穴が空いているのは、そこの最初のひとくちがすでに食べられているからなのだ。

 

悔しい。どんな味なのだろう、ドーナツの最初のひとくちは。きっと最高のひとくちなのだろう。なんせ、この世の全てのドーナツの最初のひとくちを逃したくないと、ドーナツは全てに穴が空いているほどなのだから。

 

レンコンに穴が空いているのも、最初のひとくちを誰かが既に味わった後だから。

 

ポッキーの先端でチョコレートが塗られていないところも、最初のひとくちを奪われた後だから。

 

悔しい。いったいどんな味なのだろう。

 

そう思うと、ビールの最初のひとくちも少し劣って感じられてしまった。

 

このビールの最初のひとくちはもしかしたら誰かが先に味わった後のふたくちめじゃないかと思って。

20180701

汚言症というのがあるらしい。

 

チックの子どもがよく発するもので、排泄に関する言葉をずっと言い続ける行為のことらしい。

 

そのようなものがあると聞いた時、僕はああ、わかるかもと思ったものだ。

 

ちょんまげ

 

ストレスがたまると、僕の頭の中をいつも飛び回る言葉、ちょんまげ。

 

なんでこんな言葉がずっと飛び回るのだろうと思っていた。

 

家で一人の時とかは声にして連呼してる時さえある。

 

別にちょんまげ自体は汚い言葉でもなんでもない。なんでもないが…。

 

ということを、友人に言うと『実は俺もそれある』と言ってきた。

 

自分以外にもそんなことになっている人間がいるなんて思いもしなかったから、すごく驚いたし安心した。

 

その時思ったのだ。もしかしたら、人それぞれそういった言葉を持っているのかもしれない。そして、どうしてもしんどい夜に、ひとり頭の中でその言葉を遊ばせたり、時には唇にのせて虚空に投げたりして、ひとりぼっちの夜を耐え忍んでいるのかもしれない。

 

いつからかわからないけど、辛い時に寄り添ってくれる言葉たち。それは、もしかしたら選んだわけでもないのに側にいるということで家族にも似たものなのかもしれない。

 

今日も誰かの言葉が、駅からの帰り道、シャワーホースの下、ベットサイドの明かりの中で揺らめいている。

 

ちなみにその友人の連れ合いの言葉は『わかめ』だそう。

 

言葉にできない心を、連れ合いの言葉に託して。

 

わかめわかめわかめわかめわかめわかめわかめわかめわかめ。

 

ちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげちょんまげ。

20180630

友達と『朝起きて1番最初にすること』という議題で正解を話し合った時。

 

僕は『お手洗いに行く』。あともう1人僕と同じ意見だった。

 

もう1人は『顔を洗う』

 

もう1人は『コーヒーを淹れる』

 

あとの3人は『タバコを吸う』

 

『多数決をとったらタバコを吸う』

『いや、タバコは僕らは吸わないし、ここでの多数決ではなくて万人の正解を求めようや』

『トイレ行くでしょ、起きたら』

『えー? 行くかな』

『コーヒーみんな好きでしょ』

『お前今日淹れたんけ?』

『淹れてないけど』

『『『なんで言うたねん』』』

 

喧々諤々。

 

『まって、今日の朝を思い出そう』

『朝起きて…目覚まし止めて』

『俺目覚まし止めてない』

『なんで平日のど真ん中で目覚ましかけずに寝てんねん』

『ずっとそのままゴロゴロしてた』

『俺も。頭起きるまでYouTube見てた』

『俺は今日の外出先までの路線調べてた』

『…ンー、天気予報見た、とか?』

 

と、ここで全員が正解に気づいた。

 

皆さんは予想がついただろうか。

 

そう、この場で出た『朝起きて1番最初にすること』の正解。

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スマホを見る』

20180629

友達と天下一品にくると毎回する話がある。

 

昔、天一天神橋筋商店街の一丁目で屋台を引いていた。

 

天神橋筋の一丁目で屋台を引いていたから『天一』とみんな呼んでいたのだけれど

 

店長がその後、京都の白川で屋台を引き始めた時にあだ名になっていた『天一』というのをもとに『天下一品』と屋号を決めて、それ以来営業している

 

 

という嘘をさも本当のことかのように話して『嘘かよ!』と怒られている。

20180628

本を読んだりしている時に、ふと思い出す景色がある。

 

それは保育園の時の裏庭だったり、中学校にあったずっと故障中の小さな噴水だったりする。

 

そういったものが本を読んでいたり、ふと何かしらのエピソードを思い浮かべたり思い出したりしている時に、一緒に浮かび上がってくる時がある。

 

不思議なのは、そういった場所が特に何かしらの思い出がある場所ではないということだ。

 

例えば、幼稚園なら毎日のように遊んだ砂場や遊具、自転車の取り合いをした倉庫、そういったものは思い浮かんでこない。

 

中学校でも部活で毎日向かってた講堂や、通っていた通学路、好きな子と一緒になって土まみれで作業した校舎横の農場は全く思い浮かばれない。

 

幼稚園の裏庭なんて、何があったか覚えていない。誰と一緒によく行っていたか、どんな出来事があったか、全くひとつとして具体的なエピソードがないのだ。

 

中学校の噴水もそうである。緑の藻が浮かんだ、小さな、動かない噴水。それだけ。

 

人に話す話題としては、入学式の日に第1ボタンを、何を慌てていたのか引きちぎってしまい、第1ボタンは外してるのにホックは留めてるという素行が悪いのかどうかわからない格好になってしまったという出来事の方をまだ人に伝えるであろう。

 

というか、噴水の話は人に伝えられないのだ。

 

中学校の中庭に藻が生い茂った、壊れた小さな噴水があった。

 

終わり。

 

全くもって、エピソードがない。

 

なのにも関わらず、なぜたびたび頭の中に浮かんでくるのはこの景色なのか。

 

全くもって理解できないのである。

 

今日も、手に持つ文庫本の何気ない1行に、あの場所の景色が頭に思い出される。

20160627

あまり普段は飲まないけど

 

結構ビールが好きです。ほとんど飲みに行くことがあればビールばかり。

 

太るのであんまり飲めないんですけど。

 

エールもラガーも好きですけど、どちらかといえば喉越しのいいラガーが好き。

 

ちょっと贅沢しようと思うと、いつも買うのはアサヒスーパードライバドワイザー

 

バドワイザーを飲むようになったのは、なん年前かのサマーソニックで飲んだのがきっかけです。夕日の中で微かに音楽が聞こえるところで飲むバドワイザーがずっと残って。

 

今だにバドワイザーを飲むときは橙の光とクランチがかったギターサウンドを思い出してしまうのです。