20180628
本を読んだりしている時に、ふと思い出す景色がある。
それは保育園の時の裏庭だったり、中学校にあったずっと故障中の小さな噴水だったりする。
そういったものが本を読んでいたり、ふと何かしらのエピソードを思い浮かべたり思い出したりしている時に、一緒に浮かび上がってくる時がある。
不思議なのは、そういった場所が特に何かしらの思い出がある場所ではないということだ。
例えば、幼稚園なら毎日のように遊んだ砂場や遊具、自転車の取り合いをした倉庫、そういったものは思い浮かんでこない。
中学校でも部活で毎日向かってた講堂や、通っていた通学路、好きな子と一緒になって土まみれで作業した校舎横の農場は全く思い浮かばれない。
幼稚園の裏庭なんて、何があったか覚えていない。誰と一緒によく行っていたか、どんな出来事があったか、全くひとつとして具体的なエピソードがないのだ。
中学校の噴水もそうである。緑の藻が浮かんだ、小さな、動かない噴水。それだけ。
人に話す話題としては、入学式の日に第1ボタンを、何を慌てていたのか引きちぎってしまい、第1ボタンは外してるのにホックは留めてるという素行が悪いのかどうかわからない格好になってしまったという出来事の方をまだ人に伝えるであろう。
というか、噴水の話は人に伝えられないのだ。
中学校の中庭に藻が生い茂った、壊れた小さな噴水があった。
終わり。
全くもって、エピソードがない。
なのにも関わらず、なぜたびたび頭の中に浮かんでくるのはこの景色なのか。
全くもって理解できないのである。
今日も、手に持つ文庫本の何気ない1行に、あの場所の景色が頭に思い出される。